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退院して、1ヶ月が経ちました。

入院してた時のこと、書こうかな。
入院は自分の意思ではなく、相方とお姉さんと、そして先生の指示で決まり、そこにわたしの意見は全く介入されなかった。入院した原因が原因なので、病棟は解放病棟ではなく、施錠された閉鎖病棟。入院が嫌で、仕方なかった。相方に、「わたし、もう大丈夫なんだけど、入院しなきゃだめ?」って何度も聞いたけど、縦に首を振るだけ。でも、実際のところ大丈夫じゃなかったのよね。自殺願望はしばらくの間、消えてなかったし、あの閉鎖病棟にいなければ、また同じことを繰り返したかもしれない。

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練馬にあるその病院は、2、3年前に建て替えられたので、すごく綺麗なところでした。4人部屋もあれは個室もある。それから、みんながTV観たり、食事を取る大きなホールとナースステーション。わたしは、個室希望だったけれど、入院した時、空いてなかったので、とりあえず4人部屋に入りました。でも、最初の3週間は、ベッドに引きこもってばかり。ホールにも出れなかったし、他の患者さんとお話しすることなんて出来なかった。ベッドのお布団の中に包まって、泣いたりしてたことも多々。食事もホールでは取らないで、お部屋でひとりで食べてました。ようやく雰囲気に慣れたのは、12月の末。初めて話したのはえみちゃん。この病棟にはいろいろな人が入院してて、えみちゃんは産後鬱。赤ちゃんの泣き声が我慢できなかったんだって。それから鬱の人、繰鬱の人、繰の人、統合失調症の人、原因が分からないけれど、やたら大騒ぎする人、それから自傷癖がある人。実に様々。

食事は8時、12時、17時半。起床は6時半、就寝は21時。お風呂は1週間の中で、月、水、金の3日間だけ。この病院のお風呂は湯船も広くて、温泉みたいですごく快適でした。

最初にびっくりしたのは、入院時の持ち込み検査。スーツケースの中、全部見られたわ。その中で先の尖った髪止めは持ち込み禁止だったし、ジャージに入ってる紐も取られた。他にも刃物、針の類、紐状のもの、ベルトやマフラー、ライター、洗剤や消臭剤などの化学物質、ガラスでできたものetc、etc...。わたしは、最初から携帯の持ち込みはOKだったけれど、病状によっては、携帯の持ち込みが出来ない人もいました。それから、空港の入出国でやられる、金属探知機で身体中、チェックされて、ようやく病棟に入ることができました。

入院してた時につけてた日記を読み返すと、1月上旬までは、自殺願望、消えたい願望が取れてなかったのが分かる。そして、何故入院してるんだろう。定期的に先生は来るけど毎日診てくれてるわけじゃないし、何もすることもないし、食っちゃ寝、食っちゃ寝と、決まった時間にお薬を飲んでいるだけ。入院してからちょっとして、入院診療計画書というのが渡されて、その中に推定される入院期間という欄があって、わたしの場合、原因があれだったので「その他」でした。
最初の1ヶ月くらいは、人の心なんて見えるワケないのに、先生も毎日来てくれるワケでもないのに、誰がどうやって、わたしの退院を決めるの?って反抗心が強かった。人の心の中なんて、誰にも分からないのに、嘘だってつけるのにって、状態も安定してなくて、落ちたり尖ったり。どうしてあの時、死ねなかったんだろうと思って、泣きながら、看護師さんに話しを聞いてもらったことも多々。本当に不安定でした。

でも、1ヶ月経ったあたりから、ここは治療する場所ではなくて、外の世界とシャットダウンして、静かな場所で気持ちを休める場所なんだ、わたしにとっては、そういう療養生活が必要だったんだって思えるようになりました。でも、他の患者さんからは、「あなたなんて、どこも悪そうに見えないのになんで入院してるのかしら」って、本当にいろんな人から言われました。その度に辛く悲しい気持ちになりました。

この閉鎖された病棟から出れるのは、任意入院の人、院内散歩、院外散歩(1km圏内)の許可がおりた人だけ。わたしは、医療保護入院なので、何をするにも保護者の同伴が必要。
一番、辛かったのは、タバコを吸えなかったこと。院内散歩ができるようになれば、喫煙所まで行けるので、相方に、わたし、何もしないし、逃げ出したりしないからって、院内散歩の許可してくれるように、必死で電話で訴えたりメールしたり。ただ、保護者同伴だと、外に出れるのね。だから、お姉さんのお見舞いが楽しみでした。いっきにタバコ3本吸って、吸いだめしたりとかね。
院内散歩できるようになったのは、入院して10日目。院外散歩できるようになったのは、入院して1ヶ月半弱後。外に出る時は、看護師さんかワーカーさんにお願いして、鍵を開けてもらって、病棟内に入る時は、ライターを返却して金属探知機で必ず、身体をチェックされます。病棟から出れるのは、8時半から16時半まで。

看護師さんもワーカーさんも、みんないい人ばかりでした。患者さんも、何人か、変な人はいたけれど、基本、優しい人ばかり。3週間ちょっと経った頃から、ホールでみんなと食事したり、お話ししたりすることも出来るようになり、そして、ここに(病院)居る限りは守られてるんだって気持ちになって、逆に退院するのが怖くなってきました。退院して、また同じこと繰り返さないかな…ってね。

作業療法(OTプログラム)もしました。書道をしたり、塗り絵やパズルをしたり、折り紙折ったり、ヨガをしたり、時には卓球をしたり、ポプリやカレンダーを作ったり。わたしが楽しみにしていたOTは、水曜日のOTの「お楽しみ」と、金曜日の「リラクゼーション」。お楽しみは、シアターだったり、カラオケだったり、You Tubeでリクエストして、大型のスクリーンで観たりと様々。リラクゼーションは、足湯、顔パック、それから手からひじにかけてのアロマオイルでのマッサージをしてくれました。

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1月の半ばには、個室が空いて、個室に移ることができました。この頃から回復傾向にあったのかもしれない。ひとりになりたい時、静かに休みたい時は部屋に戻って、音楽聴いたり、日記付けたり、横になって休んだり。誰かとお話ししたくなったら、ホールに出れば、誰かしらいる。個室に移ってからは、本当に快適な日々を過ごしていて、仲良しさんもたくさんできて、まるでシェアハウスみたいだなって感じたり。

入院してて、一番楽しかったのは、月曜が祝日でお風呂入れなかった時、お姉さんが外出届けを出してくれて、吉祥寺の家に行ってお風呂入って、その後カラオケしたことかな。外出は2回したけど、自分チに行った時は、その逆でプレッシャーがすごかった。そして、カイの痩せ方のあまりの酷さに絶句した。
そして、あんなに不安で怖かった退院を踏み切らせたのは、1月の下旬に2泊3日でお試し外泊をした時、「わたしが退院しなかったら、カイは死んでしまう」という危機感を感じたことでした。相方は、仕事がチョー忙しくて、そんな中でもふうちゃんにインスリン打ったり、猫のトイレ綺麗にしたり、ご飯あげたりしてよく頑張ったとは思うけど、やっぱり限界があると感じました。お試し外泊のあと、2月の上旬にはお姉さんと主治医の先生を交えて、退院に向けての三者面談して、わたしももう大丈夫だな、と感じて、14日に退院するって決めて先生に告げて、2月14日、雪の降る中、退院してきました。65日間の入院生活でした。

そして、今、猫つんたちに囲まれて、カイは、3kgまで落ちた体重が3.4kgまで増えたし、ふうちゃんにも朝晩2回、同じ時間帯にインスリンを打ててるし、わたしも、多少の意欲がわいてきて、足の踏み場もなかった和室、そしてあちらこちらに積み上げられた洋服の整理を1週間かけてやったし、リビングの気になったところは少し片付けたり、何よりも料理(ってよべるほど大したものは作ってないけど)も出来るまでに回復したの。料理なんて、多分3年はしてなかったんじゃないかな。一昨年、過食に走った時は、コンビニ弁当だったし、去年、拒食になった時はほとんど食べてなかったし。だから、包丁持つのも何年かぶり、ガスコンロも然り。あんなに料理が好きで、得意だったのに、料理も掃除も出来ない人になってたの。それが、入院~退院してから、変わったからね、60万円くらい入院費かかったけど、自殺願望や消えたい衝動もなくなったから、あの寒かった時期の入院は無駄ではなかったんだな、って思った。

そうそう...、病棟では、毎日16時半になると人員確認するのだけど、入院中仲良しだった、なおこちゃん、脱走しちゃって、病院生活も先生も看護師さんも旦那様にも等々、何もかも嫌になって、15時半頃、院外外出の届けを出したあと帰ってこなくなっちゃったの。本人は、お酒飲みたい気分だったけど、居酒屋に入るには所持金が少な過ぎて、ジョナサンでビールとワイン飲んで、病院からの電話には一切出なくて、病院側は警察に捜索願いだしたんだって。旦那様からも電話がかかって、「お前が病院に戻らなかったら、大変な違約金を払わなきゃいけないんだぞ」って言われて、警察からの電話にも「今から帰りますので、捜索願いは取り下げて下さい」っつ~て、23時近くに病院に戻ってきたんだって。これは、あとから、なおこちゃんに聞いたんだけどね。その代わり、なおこちゃん、院外散歩も院内散歩もできなくなっちゃって、1月の下旬に他の病院に転院してきました。門限破りの飲酒の~って、なおこちゃんすごいわ。でも、本当にいろんなことがあったわね。言うことを聞かなかったり、暴れたり、他の患者さんとトラブルになったりして、隔離室に入れられた人も見たしね。隔離室は独房みたいだって言ってました。

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入院中、付けてた日記は今でも毎日書いてます。もうすぐ3冊目に突入しそう。本当に仲のよかった友達(患者さん)とは電話番号交換したり、LINEのIDの交換したりして、今でも交流が続いています。

でも、入院して一番辛かったのは、練馬にあるその病院ではなくて、一酸化炭素中毒で運ばれた、さいたまの日赤。ベットに鍵のついたベルトで身体を固定されて、身動きが出来ず、尿の管をはじめ、鼻だの指だの、点滴だの、…あの3日間は本当に辛かったです。泣きながら看護師さんにベルト外して欲しいって訴えても、「だめなのよ」の一点張り。でもね、救急車に乗せられてた時は、意識が混濁してて、やたら寒いのだけ覚えてて、殆ど覚えてないのです。それから、薬飲み過ぎたせいもあって、日赤での3日間の記憶もあまりありません。どう夜を過ごしていたのか、日中、何をしていたのかすら覚えてないのです。建物の記憶なんてゼロです。退院した時の記憶すらあまりないのです。

バイトはそのまま辞めてしまったので、相方からもらう生活費を切り詰めて使って、本当に静かに、そして質素に生活していています。暇な時間を持て余す時もあるけれど、看護計画にあった、保護的な環境で十分な睡眠と休息をとり、生命を維持できるようになってます。ただ、不安や苦痛を行動ではなく、言葉で表現できるようになるには、まだ時間がかかりそう。

そして今、わたしは、おおむね元気に過ごしています。謙虚に、質素に慎ましやかに...。

それから、お姉さんには本当に感謝してます。忘れられない言葉が、「わたしが生きてる間は、あなたのことは絶対に死なせない」って言った言葉です。あの時の情景やその言葉を思い出すと、今でも、涙がこぼれそうになります。

本日のBGM≫Spitz [リコリス」
せば。ヾ(*'-'*))
12:42.......
コメント
この記事へのコメント
一緒にライブ参加できるようになるのを楽しみに待ってます(^^)
ゆっくりでいいからね☆
2014/03/14(Fri) 18:37 | URL  | もも #aYDccP8M[ 編集]
* ももちゃん
うん。わたしもももちゃんに会えるの楽しみにしてるね。
またライブ行こうね。
暖かくなったら今度、ももちゃんチの方にドライブ行こうかな。
2014/03/15(Sat) 04:25 | URL  | めい #uebO3AU.[ 編集]
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